遠い国
世間話のひとつ「お子さんは?」と聞かれる事に慣れてきた。
まず子どもを生んでないし生まれる予定は今のところないし養子の予定もない。子どもが居る人と結婚したら母親になるのかもしれない。
(その前に結婚すらしてないです)と思いつつ
「今のところ居ないです」と答えるようにしてる。
「今のところ」をつけるようにしてる。子どもを望んでる、でも今は居ない、というニュアンスが若干含まれる。こう言っておけば察してくれる人は無神経にこちらの身の上を聞いてこないので便利なのだ。
実際のところ自分に子どもが居たら生活が変わって面白いだろうな、とは感じるので嘘でもない。異国で生活したら面白いだろうな(大変な経験も含めて)と同じ心持ちなので、母性からくる感情はないのだけど。
せめて甥や姪が居たら身近になるのかもしれない。今の生活状況では、どう頑張っても子育ては遠い異国のようでどこか他人事なのだ。
初めて「お子さんは?」と聞かれた時は面食らった。
平日の日中、女性が多い場で出くわした。そういう場では少数派の男性からも聞かれたりした。
自分が慣れ親しんだコミュニティでは名前の後には趣味を続けて何年かとか、乗っていた車種とか、推しは誰かとか…向かい合った個人が何を好んで大切にしているかであって、家族についてはその後だった。
だから(そんなことお互いに知って何になるんだろう)と正直思った。
最近ではそこから子ども年齢や、男の子か女の子かで話が広がるのを目撃して納得した。「どこにお住まいですか?」より「お子さん」の話のほうが遥かに相手への理解が広がっている。「男子ママ」というカテゴリーを知った。共感は大切。
子ども達の学校行事やPTAの話
子どもが一人立ちした世代は就職や結婚の話があり
もう少し上の世代は、孫が出てくる。
それは異国ではあるけど、自分が子どもの頃の気持ち、両親の様子、祖父母との思い出と照らし合えるので共感は生まれる。ひとんちの家族話は聞いてて楽しい。そして楽しく聞けるくらい自分の家族に恵まれていることにも感謝してる。
さて。いつになったらこの異国話は当事者意識をもてるのか…ぼんやり将来を想うのだけど海の向こうに靄がかかって陸があるのかすら分からないのが現状なのだ。
バイトしないフリーランスでありたい
会社を辞めてフリーランスに踏み出そうとしてた頃
先輩に言われたことが未だに忘れられない。
「もしダメだったらラブホ街でバイトすれば良いじゃない」
会社の近所がラブホ街だった。近くコンビニでは待ち合わせ中の女性が時間をつぶしているのもよく見た。先輩のいつもの軽口なので聞き流そうとしたけれど、性サービスを軽んじて見るそのニュアンスも、その言葉もずっと残っている。7年も一緒に仕事してきてフリーランスとして独立しようとする同僚に言うことだろうか。
会社を辞めて2ヶ月後。
イラストレーターと名乗ってもすぐに仕事になるはずもなく、営業方法もよく分かっていなかった。当時は時間はあるけどどうすれば良いか分からなかったような気がする。一人の時間が長すぎることに耐えられずパートタイムを始めた。
五月人形屋で鎧兜を作る仕事。
器用ではないけど物作りは大好きなので良い仕事だと思った。ところが自分の想像以上に不器用でノルマがこなせないのだ。周りのご婦人達は次から次にパーツが出来ていくのに自分は2倍も3倍も時間がかかる。時間をかけないと丁寧に出来ない。どの作業をやっても致命的に向いていなかった。唯一出来た!と感じたのが駐車場の雪かきだったので自分で寄せた雪山に埋まりたかった。
社長は頑張る意欲が見えれば良いと言ったけど、鎧兜作りはあくまで副業。社長が求める意欲すら見せられなかった。社長室に呼ばれて辞めてもらうから…みたいな話し合いいはとてもしんどかった。
3ヶ月でパートタイムがクビになった!と周りに報告したら友人達は笑ってくれた。向いてないこと続けなくて良かったね、と励ましてくれた。
向いてないことはやるべきじゃない。
フリーランスは6年目になった。1日限りのお手伝いという形で謝礼を頂くことはあってもバイトやパートをしないで生活は出来ている。
結果として
性サービスを勧める先輩への反骨心と、鎧兜作りパートタイムが3ヶ月クビのトラウマ。この2つは私を支えてくれている。支えてくれる燃料がもっとポジティブなものだったら良いのに…と日々思うのだ。